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パウル・クレー:絵画の作曲家


先月、兵庫県立美術館にて開催中の「パウル・クレー展」を観に行きました。


子供の時から、母が好きだったことがきっかけで、図録や作品のポスターなどを通して自然とクレーの芸術に触れていました。

しかし、クレーがヴァイオリンを弾いてたことや、芸術家でありながら音楽と深い関係を持っていたことは、大人になってから知りました。



Reicher Hafen. 私が生まれる前に母がスイスで買った、1938年のクレーの作品のポスター。 以前は色鮮やかだった色彩が、ほぼ色落ちしています。
Reicher Hafen. 私が生まれる前に母がスイスで買った、1938年のクレーの作品のポスター。 以前は色鮮やかだった色彩が、ほぼ色落ちしています。

画家として作曲すること


「パウル・クレー展」は、時には明るく、時には情熱的、そして全体的にどこか感傷的な、そんなクレーの独特な世界観が鮮やかに展示されていました。20代の時の鉛筆の絵から、生涯の最後に描いた作品まで、彼の全ての芸術スタイルやその変化を存分に味わうことができました。


私はクレーの音楽に対する視点についてはほぼ何も知らずにこの展示に行きましたが、実際に彼の作品を近くで見てみると「線」「形」「陰影」の編成や重ね方が、非常に「音楽的」であることに強い衝撃を受けました。


クレーの作品では、線・色彩・形はそれぞれ別個のものとして扱い、それぞれの要素が進展しつつ変化し、たまにぶつかり合うように感じました。それぞれの要素が触れ合うことにより非常に「動き」があるように見えました。 このいくつかの視覚的要素の「動き」の組み合わせにより、音楽でいう「ハーモニー(調和)」という印象を、クレーの作品から感じました。



「都市の境界」1926, 137. 兵庫県立美術館にて撮影。
「都市の境界」1926, 137. 兵庫県立美術館にて撮影。
Hoffmannesque Scene. 1921. 兵庫県立美術館にて撮影。
Hoffmannesque Scene. 1921. 兵庫県立美術館にて撮影。

また、「音楽」という概念を比喩的な意味で絵画として形にするのではなく、私は、クレーが「絵画を使って音楽そのものを作っていた。すなわち、作曲をしていたのではないか。」と感じました。 実際には聞こえてくるはずがないのに、クレーの作品からは、リズム・テクスチャー・不協・進行・強弱ですら感じるのです。


もしかしすると「音」以外のもので音楽を表現することは可能ではないかと感じさせるくらい、絵画で音を表現するクレーの作品は非常に印象的でした。「音楽」というものは、「音」よりも、もっと抽象的なものなのではと感じました。「音楽」を表現するのは、果たして「音楽家」だけなのでしょうか。



「北方のフローラのハーモニー」 1927, 144. 兵庫県立美術館にて撮影。
「北方のフローラのハーモニー」 1927, 144. 兵庫県立美術館にて撮影。
「赤、黄、青、白、黒の長方形によるハーモニー」 1923, 238. 兵庫県立美術館にて撮影。
「赤、黄、青、白、黒の長方形によるハーモニー」 1923, 238. 兵庫県立美術館にて撮影。

「沈黙」に耳を傾ける


クレーの晩年の作品についてのコーナーでは、クレーがナチスによって虐げらていたことについて学びました。

デュッセルドルフ美術アカデミーから追い出されスイスに亡命するしかなかったことや、数百個の作品が「退廃的芸術」という理由でナチスに取り上げられていたことなど、想像を絶する政治による抑圧を受けていました。


2025年の現代において、抑圧に対して弱い者の表現を守ることを、果たしてどれくらいできているのかについて考えさせられました。


当時「退廃的芸術」というレッテルを貼られた芸術家たちは、決して全員がナチス時代を生き延びることはできませんでした。仮に生き残ることができたとしても、必ずしも作品やキャリアが保証されていた訳ではありません。しかし、クレーは、彼が亡くなってから80年以上経った現在も、その遺産や作品を受け継ぎ、世界に伝えていくことを保ち続けてきた人たちによって、日本という離れた場所でも、彼の伝えたかったことを今なお見せてくれています。


何十年という時間を経て届いた、沈黙させられてきたもの達の声に少しでも耳を傾けることができればと、アーティストとして考えさせられました。

 
 
 

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