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[Let's Talk About Music] | パウル・クレー | EP1-3: 『バッハの様式で』 - 過去、そして未来

この投稿は、以下の動画に表示されている日本語字幕の書写しです。また、作品・写真のキャプションや参考文献など、動画では日本語で表記できなかった部分も本投稿にて公開しています。

[Let's Talk About Music] | パウル・クレー | EP1-3: 『バッハの様式で』 - 過去、そして未来

私のパウル・クレーの動画で使われている音楽は、ヨハン・セバスチャン・バッハが作曲したものです。


バッハは18世紀のドイツ人の作曲家であり、『G線上のアリア』『主よ、人の望みの喜びよ』などの名曲で知られています。


A 1784 painted portrait of German baroque composer Johann Sebastian Bach. A middle-aged white man with a serious expression, wearing a white curly-haired wig, is dressed in a black jacket over a white blouse. In his right hand he holds a piece of sheet music, which is the canon BWV 1076, one of his compositions.
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)

作曲家としては、バッハはポリフォニーの名人であり、彼のインヴェンションやフーガなどでその技術が知られています。


Paul Klee's 1919 painting "In the Style of Bach", done in oil transfer and watercolor on chalk base, applied to linen on cardboard. An abstract painting in a mostly pale-green hue, with subtle hues of pink and blue. Scattered across the painting are abstract figures and icons, outlined in black and in hues of mostly red and yellow.
Im Bachschen Stil(『バッハの様式で』)1919年 厚紙に貼ってチョークで下地を施した亜麻布に油転写・水彩

これは、クレーの1919年の『バッハの様式で』です。


チョークで下地を施した亜麻布を厚紙に貼り付けた上に、油転写と水彩で描かれた作品です。


左端には、音楽記号でいう「クレフ」のような位置に、管楽器を演奏している人物のようなものと、青い三日月が見えます。青とピンクがちらほら見える薄緑のバックに、たくさんの赤い記号が見えます。植物・様々な形の星・音楽記号の「フェルマータ」など、色々な記号が描かれています。絵の中での「記号」の位置が、進行を意味するような並べ方であり、それはまるで言語や、楽譜にさえ見えてきます。


『バッハの様式で』という題名には、様々な捉え方があります。


単なる楽譜に装飾を施したものにすぎないのでしょうか。


クレーがバッハを聴きながら想像したり感じたりしたものでしょうか。


彼の他のポリフォニーの絵画のように、バッハの音楽を視覚化したものなのでしょうか。


クレーにとって「バッハの様式」とは、何だったのでしょうか。何か個人的な意味が存在していたのでしょうか。



自分の時代に無かった「音楽的アイデンティティー」


20世紀前半のヨーロッパの芸術家として、クレーが活動していた時代は、ピカソやカンディンスキーなどの芸術家が、作曲家と一緒に仕事し、舞台や映像などの共演によって新たな作品を作り上げていました。


クレーと同じ時代に生きてた作曲家には、バルトーク・ヒンデミット・新ウィーン楽派・ストラヴィンスキーなど、現代音楽で名を残した人がたくさんいます。しかし、クレーは自分の時代に生きた作曲家と、正式に仕事をすることや、深い関係性を作ることはありませんでした。


クレーが現代音楽の世界と繋がりを作らなかったことには、意味があったかもしれません。クレーにとって音楽が大事なものだったとすれば、なぜ作曲家と交流を持たなかったのでしょうか。



音楽の終わり、芸術の始まり


A sepia photograph of German artist Paul Klee at the age of twelve. A young boy looking slightly to the left, wearing what appears to be a tweed jacket and vest and a tie.
12歳のクレー。

クレーは7歳からヴァイオリンをはじめ、ベルン市管弦楽団のコンサートマスターから指導を受けていました。彼の幼少期の音楽活動は、音楽の先生であった父と、歌手であった母に支えられ、誰もがクレーは音楽家になると思っていたでしょう。


A black-and-white photograph of German artist Paul Klee at the age of twenty. A young man wearing a long trench coat over what appears to be a suit and necktie, as well as dark-colored gloves on his hands. In his left hand he holds a hat.
20歳のクレー。

しかしクレーは10代で、音楽ではなく美術の道に進むことを決心しました。その理由として、本人曰く、「音楽が成し遂げてきたものの歴史の衰退を考えた時に、もはや音楽的創造を続けていくことに特に魅力を感じない」ことに気づいたからでした。


20代前半の日記を見れば、クレーが自分と同じ時代の音楽と共感することに苦悩したことがわかります。



Paul Klee's 1909 painting "Pianist in Need", done in pen and watercolor on paper on cardboard. A bald and naked man wearing glasses is sitting in front of a brown, old-fashioned piano with sheet music in front of his face. He faces away from the viewer and is only visible from the back, though his hunched-up posture and shriveled-up skin suggests great suffering. He is trapped to the piano's keyboard with metal or gold cuffs, and is sitting on what appears to be a chamber pot.
Pianist in Not(『窮地のピアニスト』)1909年 厚紙に貼った紙にペン・水彩

これは、クレーの1909年の水彩画『窮地のピアニスト』です。楽器に拘束され、尿瓶らしきの物の上に座る干からびたピアニストの図は、クレーの、現代音楽に対する思いを表しているのではないかと思われます。それは、窮屈でひねくれた、不快なものでした。


クレーが音楽で未来を目指さなかったのは、おそらく音楽に未来を感じなかったからでしょう。彼にとって音楽とは、過去のものでした。


クレーが尊敬していた作曲家は、主に過去から来た二人でした。バッハと、18世紀のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトです。



「過去の音楽」のための「芸術の未来」


音楽の道を進まなかったクレーでしたが、自分なりに音楽を楽しむことを続けました。妻・リリーのピアノと、ヴァイオリンでバッハとモーツァルトを演奏し、コンサートやオペラにも足を運びました。特に、バッハの音楽や作曲技術を研究し、その成果をバウハウスでの教材にも取り入れました。


Klee's graphic analysis of the fourth movement of the sixth violin sonata by Johann Sebastian Bach. A horizontally long graph consisting of multiple rows and columns, the very top row being a musical stave containing the musical notes of the piece. Further down the graph, certain cells are filled in black, mapping out the trajectory of the music based on Klee's analysis of the music.
『造形フォルム理論』52頁より クレー自身による、バッハの《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第6番 ト長調》の研究 1921-1922年

しかし、クレーが「古い音楽」を好んでいたことが、単にノスタルジアや、保守的な思考だけではありませんでした。


1917年に、クレーは日記で「ポリフォニーの絵画が音楽に優っている」と書きましたが、その同じところにバッハとモーツァルトについて、独特な視点を記しています。



「音楽のポリフォニーは多少なりともこの求めに応えている。『ドン・ジョヴァンニ』に見られるような五重奏は、トリスタンの叙情的な運動よりも僕らには身近に感じられる (…)

モーツァルトとバッハは19世紀にもまして近代的だ。


- 『クレーの日記』より(1917)



過去の作曲家が、なぜ「近代的」なのでしょうか。すでに絵画と音楽の関係性について追求していたクレーですが、その手がかりが「ポリフォニー」ということに気づき始めています。


「ポリフォニーの達人」とも知られていたバッハでしたが、単なるインスピレーションではなく、クレーの芸術的哲学の鍵と真髄となるものでした。


あの日記を書いた10年後の1928年に、クレーが語った言葉には、彼の哲学の確立が見られます。



「音楽ではすでに18世紀末までになされていることが、造形の領域では少なくとも始まったばかりである。」


- “Bauhaus, Vierteijahrzeitschrift fur Gestaltung” vol.2, No.2, 1928



「絵画の作曲家」として、クレーは過去のものを受け継いでいました。現代音楽の作曲家たちが新しい音を創造していたと同時期に、クレーは過去の音楽を、「絵画」という形で未来を繰り広げていました。



クレーが作った「音楽の未来」とは


音楽家からすると、クレーは「古い」または「過去に囚われている」とも思われるかもしれません。バッハとモーツァルトの音楽は伝統的ですが、なぜ彼は自分と同時代の音楽自体を改革していくことを考えなかったのでしょうか。


しかしクレーのスタイルやメソッドは、本当に音楽界に影響を及さなかったのでしょうか。昔のものからだけではなく、音楽以外の表現手段を通して音楽のスタイルを作っていくことで、「音楽家」から得られない「音楽」について学ぶことはたくさんあるでしょう。クレーは、どのように音楽の未来を進展させたのでしょうか。クレーから、音楽について何を学べるのでしょうか。



(EP1-4に続く)




参考文献




画像や写真について


  • この投稿で使われているクレーの作品の画像などは、個人の本やポストカードから複製しました。

    • 『バッハの様式で』の画像は、兵庫県立美術館にて購入したポストカードを複製したものです。

      • Klee, Paul. im Bach’schen Stil. 1919. Art Unlimited Amsterdam. Printed in Holland. Postcard.

    • その他の画像:

      • Düchting, H. (1997). Paul Klee: Art and Music.(デュヒティング H. 後藤文子(訳)(2009). パウル・クレー: 絵画と音楽 岩波書店)

  • バッハとモーツァルトの画像は、それぞれのWikipediaの記事の写真を使用しました。

  • この投稿で使われている写真は、個人の本から複製しました。

    • クレーの昔の写真:

      • 新藤真知(2011).もっと知りたいパウル・クレー 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)  東京美術

    • その他の写真:

      • Düchting, H. (1997). Paul Klee: Art and Music.(デュヒティング H. 後藤文子(訳)(2009). パウル・クレー: 絵画と音楽 岩波書店)

 
 
 

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