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[Let's Talk About Music] | パウル・クレー | EP1-1: 『老いたヴァイオリニスト』 - クレーと音楽家のアイデンティティー

更新日:6 日前

この投稿は、以下の動画に表示されている日本語字幕の書写しです。また、作品・写真のキャプションや参考文献など、動画では日本語で表記できなかった部分も本投稿にて公開しています。

[Let's Talk About Music] | パウル・クレー | EP1-1: 『老いたヴァイオリニスト』 - クレーと音楽家のアイデンティティー
Alter Geiger  (『老いたヴァイオリニスト』). 1939年(310)鉛筆/紙、厚紙 http://www.emuseum.zpk.org/eMuseumPlus
Alter Geiger (『老いたヴァイオリニスト』). 1939年(310)鉛筆/紙、厚紙 http://www.emuseum.zpk.org/eMuseumPlus

1939年に描かれた『老いたヴァイオリニスト』。


紙と厚紙に鉛筆で描かれた、単純な白黒の線画です。ヴァイオリンを弾く男性の顔が、ヴァイオリンと合体しています。歪んだ表情をした彼は、一体何を感じているのか。笑っているのか。苦しんでいるのか。なぜヴァイオリンから目を逸らしているのか。果たしてヴァイオリンと一つになれたのか、それともヴァイオリンに支配されているのか。


パウル・クレーは、単なる画家ではなく、ヴァイオリニストでもありました。彼の作品の中では、音楽は大きなテーマであり、彼の技術と作風の核となっていました。


晩年に描いたこの作品は、自身の楽器との関係性を表しているものでしょうか。クレーにとってヴァイオリンとは何だったのか。さらに、音楽とは何だったのか。


ハインリッヒ・クニル画塾で仲間と五重奏を演奏するパウル・クレー(右端)。ミュンヘンにて、1900年
ハインリッヒ・クニル画塾で仲間と五重奏を演奏するパウル・クレー(右端)。ミュンヘンにて、1900年

パウル・クレーの晩年


パウル・クレー、ベルンのアトリエにて。1939年
パウル・クレー、ベルンのアトリエにて。1939年

1935年、クレーが55歳の時に皮膚硬化症を発症したことで、著しく動きが制限されるようになりました。2年後には、それまでずっと弾いてきたヴァイオリンを、医者から辞めるように勧められました。病気だったにもかかわらず、クレーは制作を続け、1939年には1253点もの作品を残しました。


そんな時期に仕上げた『老いたヴァイオリニスト』は、クレーが線で描いていた数多くの「風刺画」の一つです。クレーの線画は、鉛筆・インク・チョークで描かれていますが、その「風刺画」には無邪気さとユーモアがあります。


クレーの「風刺画」は、彼の作品の中にも登場しますが、絵の中での部分的なモチーフとして扱われることが多く、色鮮やかなバックの上に描かれています。


1940年。クレーが亡くなった年に、彼の代表的な『天使』シリーズを思い出させるような、たくさんの線画を描きました。このシリーズを『エイドラ(eidola)』と名付けました。


「エイドラ」とは、ギリシャ語の「幻」「幻影」からくる言葉です。『エイドラ』シリーズには、草刈り・将軍・哲学者・音楽家など、様々なキャラクターが登場します。ですが各作品のタイトルには、「かつての」という、死後を想像させるような言葉が含まれています。


Eidola: weiland musicien (『かつての音楽家』).  1940年(81)クレヨン/紙、厚紙
Eidola: weiland musicien (『かつての音楽家』). 1940年(81)クレヨン/紙、厚紙

不滅の音楽家


Eidola: weiland Harfner (『かつてのハープ奏者』). 1940年(100)クレヨン/紙、厚紙
Eidola: weiland Harfner (『かつてのハープ奏者』). 1940年(100)クレヨン/紙、厚紙

『老いたヴァイオリニスト』や『エイドラ』シリーズに登場する音楽家たちは、年老いた、またはすでに死んでいます。また、体と楽器が合体していたり、逆に楽器そのものが描かれていないところなど、「音楽家」と「楽器」の関係性について考えさせられます。


Eidola: Knaueros, weiland Pauker (『クナイェロス かつてのティンパニー奏者』). 1940年(102)クレヨン/紙、厚紙
Eidola: Knaueros, weiland Pauker (『クナイェロス かつてのティンパニー奏者』). 1940年(102)クレヨン/紙、厚紙

「音楽」も「音楽家」も、死を免れません。クレーはこの作品を通して、音楽を体の一部でありながら目には見えないような、生命力のように解釈しているかもしれません。


「音楽家」は死にますが、死ぬことがない「楽器」に形を変えたり、楽器が無くても演奏が続くことにより、「音楽」として生きることができると感じます。


この内面的な線画から、クレーは画家でありながらも、画家以上に音楽家の魂を持っていたのではないかと想像します。二度とヴァイオリンを演奏することができなくなったと確信した彼が、自分の中の音楽を不滅にするためには、「楽器」という、音楽を視覚化したものを通して表現していたとも思います。


Eidola: weiland Pianist (『かつてのピアニスト』). 1940年(104)クレヨン/紙、厚紙
Eidola: weiland Pianist (『かつてのピアニスト』). 1940年(104)クレヨン/紙、厚紙

画家として「音楽」を表現


クレーの作品の多くには、音楽と関係するモチーフがたくさん見られます。楽器や音楽家の風刺画以外に、オペラやバレエの情景や、音符やフェルマータなどの音楽記号を使っていました。


しかし、クレーは単に音楽を「描いていた」だけだったのか。


クレーは画家になることに決心した後でも、「音楽家」というアイデンティティーを追求し続けたのでしょうか。ヴァイオリンを弾いていたクレーですが、果たして演奏だけで音楽を作っていたのでしょうか。


ヴァイオリン無しで、どのように「音楽」を「表現」していたのでしょうか。



(EP1-2に続く)




参考文献


  • クレー作『老いたヴァイオリニスト』は、 パウル・クレー・センターのデジタル・データベースによりダウンロードしました。http://www.emuseum.zpk.org/eMuseumPlus


  • その他の写真やクレーの作品の画像などは、個人の本やポストカードからスキャンしました。

    • 『エイドラ』シリーズ

      • 清水壽明(編)(2001). クレーの贈りもの 平凡社.


    • その他の写真や画像

      • Düchting, H. (1997). Paul Klee: Art and Music.(デュヒティング H. 後藤文子(訳)(2009). パウル・クレー: 絵画と音楽 岩波書店)



 
 
 

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